|はじめに|

 河口・内湾域は、かつてその周辺の人間にとって快適な生活環境を与えると同時に多くの魚介類などの生産の場であった。しかし、わが国の多くの沿岸域の集水域には人口が密集し、河川や沿岸域の下水処理施設を通して大量の栄養塩、有機物が沿岸域に供給されるようになった。その結果、赤潮や青潮がしばしば発生し、また有害汚染物資が魚介類に濃縮され、人間環境やその活動に対して大きな影響を与えている。このような状況に対し、自然に存在する有効な浄化機能を加速し、人為的にコントロールされた生態系、例えば人工干潟や藻場を作り、人間にとって望ましい環境を創造することが試みられている。

 このように人間活動の影響を大きく受けた代表的な内湾は東京湾であろう。昭和初期(1936年頃)と現在の東京湾の姿を比較すると、東京湾地域の人口は900万人から2,600万人へと約3倍に増加し、陸上から湾へ流入する有機物、窒素・リンなども増加し、東京湾の水質が悪化してきた。また、かつて広大に広がっていた干潟が埋立てられ、その面積が昭和初期の7%にまで減少し、湾全体として浄化能力も低下したと考えられる。

 本書は東京湾の過去から現在、さらに将来までの約100年間の環境の変遷を湾内の生物の働き、陸域の人間活動を含め総合的に記述したものである。本書は6章から構成されている。第1章では東京湾の過去と現在の姿、水質と底質、第2章では藻類、底生生物、微生物などの働き、第3章では流域と湾内での窒素の動き、第4章では生態系モデルとそれによる水質予測、第5章では東京湾と瀬戸内海の海洋構造と環境特性の比較について、おのおの専門的な立場から12人の研究者が執筆している。最後に東京湾は甦るかというテーマで行った座談会の内容がまとめられている。各執筆者により執筆された原稿について編集委員会で検討・調整を行い、分かりやすい文章に改めたが、内容のレベルは章によりかなり幅がある。しかし、各著者の考えと表現をできる限り生かすように心がけた。

 本書を刊行することになったきっかけは、1990年より実施された文部省科学研究費・重点領域研究「人間環境系」の研究グループ『河口・内湾域における隆起源物質の生態学的制御』の研究成果をわかりやすい形でまとめ、東京湾に関心をもつ読者に広く知ってもらいたいことであった。したがって、本書は既存の成果を単にまとめたものではなく、上記研究により得られた多くのオリジナルな成果も含まれているユニークなものである。

 巻末の座談会の中で指摘されているように、東京湾を昭和初期のきれいな状態に戻すために、生物・微生物の役割がどの程度期待できるかを評価したが、陸域から現状の流入負荷があるかぎり、元の状態には戻らないというのが結論であった。巨大に変貌した都市のあり方を根本的に見直すなどの大幅な対策がない限り、流入負荷の大幅な減少は期待できない。しかし、生態系の持つ浄化機能を有効に生かし、また私たち一人一人が身近にできる実践活動を積み重ねていくことが流入負荷を減少させ、きれいな東京湾に近づいていく道であろう。本書が東京湾や同じような問題をかかえる内湾の環境問題に関心を持つ読者に役立ち、きれいな東京湾を取り戻すためのきっかけとなることを期待したい。

 
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