|序文より|

 (前略)ホルクハイマーは、『啓蒙の弁証法』の「ジュリエットあるいは啓蒙と道徳」の章で、理性の形式化が実践理性にとって持つ意味の探求を行っている。ここで彼は、サドとニーチェの思想に、実践理性に対する非妥協的な批判、しかも科学的原理が破壊的なものにまで強められた批判をみるという視点から、二人の思想を解釈する試みを行い、いわば実践理性の批判が啓蒙の自己解体を招くさまを描き出している。ホルクハイマーに底流としてあった問題が、社会という媒介を奪われた段階でただ反省の持つ自己治癒力にのみ頼る形で論じられているこの章は、三〇年代の人間学的研究と並び、またそれを思想研究の水準で引き継ぐものとして、彼の思想家としての特徴をよく示しており、ここで特に検討・考察に値するものと筆者は判断した。以上の作業を通じて、ホルクハイマーの転回を理解し、そこから『啓蒙の弁証法』の理解に寄与することがここでのねらいである。

 一九巻からなる『ホルクハイマー著作集』の刊行によって、未公開だった論文、講義原稿、日記、さらには書簡といった豊富な資料がホルクハイマー研究、フランクフルト学派研究に与えられることになった。さらにホルクハイマー生誕九〇年を機にフランクフルト大学で開催された国際学術会議、およびその際の講演を土台とした著作(13)の出版は、さまざまな専門領域でホルクハイマーに関する議論を活気づけることになった。それは、現在の当該領域での研究状況からするホルクハイマーの学問的業績の評価、あるいは批判から、若い世代に観察できることだが、ホルクハイマーのテクストをすでにひとつの古典として吸収しようとするような研究まで、さまざまな領域で、さまざまな態度において推し進められている。こうしたなかにあって本書は、ホルクハイマーの思想を、いわば現代思想の原点ともいえる問題文脈に位置づけ、それに対する独自の解答の模索としてそれを解釈しようとする試みである。この作業によって、ホルクハイマーという思想家とその思想の、また彼が生きた、そして現在にも続く時代の理解に些かなりとも寄与できればというのが、筆者の願いである。

 
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