本書は、Stefanie von Schnurbein : Religion als Kulturkritik Neugermanisches
Heidentum im 20. Jahrhundert. 1992,Carl Winter Universitisverlag.を全訳したものである。原題は、『文化批判としての宗教
二〇世紀のネオゲルマン異教 』であるが、本書では、表記のように『現代社会のカルト運動ネオゲルマン異教』とした。
著者、シュヌーアバインは、一九六一年に生まれ、スカンディナヴィア学を専攻し、現在、フンボルト大学北欧研究所教授である。彼女は、スカンディナヴィア学を通じ、現代ドイツの歴史的課題のひとつ、ナチズムないしはネオナチズムの宗教的政治的背景にある宗教思想運動、ゲルマン異教運動を研究している、俊才の誉れ高い宗教社会学者である。
二〇世紀になり、現代文明と文化に対し、「根源的」文化・宗教を求め、これに基づいて批判し、対抗する新宗教運動の抬頭・展開、すなわちニュー・エイジ運動が世界的に二度あったし、ある。第一次は、一九世紀末から二〇世紀初頭であり、第二次は、七十年代以降である。これらの運動と同じ方向をもち、しかしこれとも違って、「根源的」文化・宗教として古代ヨーロッパの原宗教もしくは異教の教えと文化を求め、さらにとりわけ古代ゲルマンの神々の教えと文化を求める新宗教運動は、第一次では、ゲルマン異教、第二次ではネオゲルマン異教と呼ばれる。
シュヌーアバインは、本書の主題として後者のネオゲルマン異教について、またこの歴史的宗教として前者のゲルマン異教について、北部ヨーロッパ、中部ヨーロッパやアメリカの宗教集団の一類型、カルトのケースに即し、詳細に分析している。
彼女の扱う前までは、ゲルマン民族、種族、人種の宗教や文化領域は、ヴュルツブルク大学のマックス・デーク教授によると「国家主義的とも云えるほどの素人」に委ねられ、古代ゲルマン研究の専門家にしても「過去の役割」を批判的に検証することを怠ってきた(「ドイツに復活したゲルマン的異教
ムム 自然宗教・もうひとつの生き方・民族主義」講演要旨、文責中村 修『ドイツ文学研究』(日本独文学会東海支部、一九九九年、第三一号所収))のである。あるいはシュヌーアバインの指摘によると、それらは、「確信的な異教徒」か、それを批判的ないし否定的態度をとるキリスト教徒か、いずれかの研究にとどまっていた。
そこで、彼女は、この学問状況にあって経験科学の方法上、最も困難であるが、それにもかかわらず最も適切な「参与観察」から新宗教のカルトにアプローチする。すでに、オックスフォード大学のB・ウィルソン教授が既成宗教の宗教セクトにアプローチするさいに、信者らは「質問し、記録し、分析をしたいと思う者に強い敵愾心をいだいたり、
ムム 調査するだけで、彼らの優越性と価値は不利に解釈されると考え」てしまう(B・ウィルソン『宗教セクト』六‐七頁、恒星社厚生閣、一九九一年)と、述べているが、既成宗教の宗教セクトですら、それを知るのに困難が伴う。ましてや新宗教としてのカルトへのアプローチが困難を伴うのは、察するに余りあることだ。その困難な状況のもとで、彼女は、実証主義的方法として「参与観察」の方法をとり、しかも市民倫理に基づいて「契約」を交わし、カルトにアプローチした。それでもなお、知り得たカルトの事情を公表し得ない研究者の悩みをもつものの、通常の「観察」方法以上の事情が経験科学の方法概念のもとに、本書に提示されている。この意味で、本書は、実証主義を本旨とする経験科学の業績としてきわめて優れたものである。この困難な研究にもかかわらず、とりわけカルトの定義づけは正確である。
そのうえ、本書で提示されたカルトの事情は、カルトという特定の宗教集団としてのみでなく、広く、集団や社会の文化的諸特徴を析出するのに適切な宗教と政治との関係の分析枠組みによっても提示されている。
この宗教と政治との関係の分析枠組みは、すでにマックス・ヴェーバーが提起し、日本では丸山真男が提起しているものである(詳しくは拙著『ヴェーバーの日本近代化論と宗教』岩田書院、一九九九年を参照)。この分析枠組みのテーゼは、未だに日本の学会では市民権を得ていないように思われるので、ここで少し説明しておこよう。
政治は、法や指令などを通じ自己の意思を他者の行為に影響を及ぼす力の行使と考えられる。したがって政治権力の担い手は、他者に対し、力の行使の意味をそれ相応の性格に即し説明しようとする。他者は、政治権力の担い手の説明の意味を正当であるのか、どうか、すなわち正当性の問題をそれ相応の性格に即し考える。政治権力の力の行使の世界は、他者、すなわち国民などの被支配者の生活、「貧・病=死・争」に及ぶ。そうすると、被支配者は、政治権力のこれらの説明に対し彼らのこれらにかんする宗教的考え、ないしは思想によって、この説明が正当であるのか、どうかを考える。そこで、決定的に、経済ではなく、政治と宗教との関係は、これらをもつ集団や社会の生活ないしは文化を、基本的に規定することがわかる。
シュヌーアバインは、こうした正当な分析枠組みから、ネオゲルマン異教のカルトを分析する。とりわけこのカルトは、「根源的」宗教を主に前・非キリスト教の種族宗教もしくは自然宗教に求め、現代文明と文化に対し批判的ないしは対抗的である。そのために、このカルト運動は、一見すると「革新的」運動と思われがちである。しかし、彼女は、「進歩的‐対抗的」と「後進的‐反動的」枠組みを設定し、この運動を特徴づける。この鋭い視点は本書に貫かれていて、本書の意義を高からしめている。
なお、翻訳は第一章から第四章までは、伊藤 勉、第五章は、浅野 洋、また双方の訳語の統一は池田 昭が行った。
二〇〇一年一月二十日
池田 昭 |