|あとがき|
 本書は,大都市における都市的生活様式の社会心理的な諸相を追いながら,今日の日本人は,どんな社会心理的な問題状況におかれているか,探ろうと試みているものである.その社会心理的な問題状況の諸相としては,東京人の類型と特質,都市生活における「都市」感覚や東京生活における「東京」感覚,地域活動の類型と特質,東京の青少年問題にみられる社会心理的な特色,生きがいやそれと関連の深い自立やアイデンティティの問題,さらに「個人」としての日本人の問題などを採り上げている.
 そうした問題状況を考えるなかで,大都市の日本人は,やはり日本の伝統文化に特徴づけられるような社会心理の局面を今なお継承していることが知られるといっていいだろう.しかし,特に私が示唆しようとした日本人の社会心理の局面は,いろいろの意味において「自己」の形成や確認のいとなみが,日々常に強く迫られているのではないかということである.それは,自立やアイデンティティの問題に重なり,日本人の「個人」の問題に帰する.しかし,そのような状況は,世界的な規模の近代化(グローバル化)が進行するなかで,もはや日本だけではなく世界の問題にもなってきているのではないか,と考える.
 大都市といっても,私の念頭にあるのは,ほぼ東京であり,東京圏である.そして私の問題関心は東京や東京圏に住む日本人である.それで,本書には「大都市の日本人」のサブタイトルをつけることにした.私は,社会学を学び始めて間もない頃から都市社会学の研究に従事してきたが,30 年ほど前に,『都市化の社会心理−日本人の故郷喪失−』(1974年)という本を書いたことがある.どうやら,私はずっと,「都市」,「都市化」,「日本人」の社会心理にかかわる問題関心をもち続けているらしい.
 私は,東北育ちであって東京育ちではない.職場は東京都内を転々と変わったが,東京には 10 年足らずしか居住した経験はなく,30年以上は東京圏で暮らしてきた.だから伊藤滋氏の『東京育ちの東京論』(2002)のような言い方をすれば,本書は「東北育ちの東京人論」ということになるだろう.「故郷/家郷」とか「日本人」とかに,常に問題関心を感じ続けた一因はそこにもあるのかもしれない(今でも「わが性に鄙住かなふ月の夜 富安風生」というのが私の心境である).
 いずれにしても,私は,とりわけ日本人の「個人」感覚には,50年以上も前から,細々ながらにせよ,関心をもち続けてきた.「自己」の形成や確認のいとなみと深く関連しているこの「個人」の問題は,今後の私の研究対象であり続けるだろう.(以下省略)
 
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